徒然なるままに №298 フライトシミュレーター

 

昨年、発売から40年近く経ったMicrosoftのフライトシミュレーターがアップデートされたそうですが、その進化に改めて驚かされました。

私はこの間、どれだけアップデートできたかなぁ?(滝汗)

 

約40年の進化が一目で

 

今では全国に本格的なシミュレーター体験ができる施設が多く存在するようですが、なかでもこれ凄く気になっています。(費用がちょっと〇〇だけど)

 

スターフライヤー フルフライト シミュレーター体験

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №297 ずっと

 

昨年は【コロナ離婚】なるものが取り沙汰されました。

 

数十年前と今では離婚率がおよそ3倍になっているそうです。

 

今ではバツイチ等という言葉になんの違和感も無くなってしまいました。

 

こうなった理由・原因・背景はそれこそ色々あるでしょう。

 

パートナーの過ちを許せない人は多いと思いますが、人を愛するという事はそれだけで崩壊するものでもないと思うんですがどうなんでしょうね。

 

高校時代、友人が教えてくれた思い出深い、どストレートなラヴソングです。

 

意味を分かって薦めてくれたんだろうか???

 

“Keep On Loving You”
(1981年)
REO Speedwagon

 

♪君を永遠に愛している
そして永遠に愛し続けたい
僕は君を愛し続けたいだけだから

 

苦節10年で初めての大ヒット、そして全米1位に輝いた曲です。

 

一途なラヴソングとして有名ですが、リードボーカルの『ケヴィン・クローニン』が結婚前のパートナーの過ちを知った後に書いた曲です。
彼は、自身の作品の中で「最も痛みのある歌」だと言っています。

 

そして、彼は言葉通りに約束を守っています。

 

そして、この曲を収録したアルバムは彼らの9枚目の作品になりますが、1000万枚を超える売り上げを記録し奇跡のモンスターアルバムになっています。

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №296 〇〇世代

 

東大安田講堂事件の記憶はありませんが、浅間山荘事件の鉄球や放水は、はっきり覚えています。

 

10歳になるまで住んでいた家の前には、佐賀大学農学部の水田やヤギ小屋、そしてグラウンドがありましたし、小学校へは大学の構内を縦断して通学していました。

 

その為、下火になりかけていた学生運動のデモ隊やゲバ字のプラカード・立て看板の記憶が微かに残っています。

 

小椋さんは【全共闘世代】ですが、この曲には当時盛んだった学生運動が背景にあるという事を後に知りました。

 

当然お子ちゃまだった私は、そんな事等全く理解することなく口ずさんでましたね。

 

因みに僕等は、【しらけ世代】にカテゴライズされていたんだっけ?

 

 

さらば青春
(1971年)
小椋佳

 

NHK みんなのうた 田中健ヴァージョン(1975年)

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №295 周回遅れの異端だけど

 

こんな記事を目にしました。

 

「Twitterのツイートのうち9割を1割のユーザーが発信。全インターネットだと 一般ユーザーでblogやSNSでなんらかの情報発信をしている人は1%。ということは、年がら年中情報発信している人は 平均的地球人として異常

 

困りました。どうやら私は異常なオヤジみたいです(汗)

 

2ペダルは当たり前、EVが俄然注目を浴びだしているこのご時世において、13年振りに3ペダルMT&ガソリン車への乗り換えを考えたり、未だガラケー(正確にはガラフォ)を使っている私は多数派とはいえませんが、異常とまではいえないと思うのです(笑)

 

確かに時流にはのっていませんし、世の中斜めから見て多くの賛同を得られない意見を持っていますので、敢えて言うなら異常ではなく異端でしょうか。

 

でも、そんな異端な私を「お前さぁ~」と半ば呆れつつも、拒絶せず受け入れてくれる友には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

“You’re My Best Friend”
(1976年)
Queen

 

 

MTへの乗り換えを検討している理由は、ボケ防止に有効かな?と思った次第で(汗)

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №294 大好物

 

加齢とともに食の好みも食べる量も変化してきている。

 

 

が、全く変わらずずっと大好きな食べ物も多い。

 

 

カレー・ハンバーグ・スパゲッティ等俗にいうところのお子ちゃまメニューは今でも大好きだし、よく口にする。

 

 

ハム・ソーセージの類いもそうだ。

 

 

どこでも気軽に手に入れる事の出来る市販品のウインナーとして【シャウエッセン】はダントツで美味い。

 

 

必ずストックしている。

 

 

加工肉は体に良くないと言われるが、そんなことは知ったこっちゃない。

 

 

佐賀・三瀬にある【イブスキ】の『ヴラートヴルスト』は絶品だが、なんといっても高いしいつでも気軽にとはいかない。

 

 

ベーコンは【ヤギシタハム】がお気に入りだ。

 

 

昨年末お歳暮解体セール品の【雲仙ハム】ポーク(ボロニア)ソーセージを購入した。

 

 

長崎県民なら知らぬ人はいない逸品らしい。

 

 

多少割高だが、ベビーハムに旨味を追加した感じの極旨ソーセージだ。

 

 

今、ハマってる。

 

 

日本の至宝ともいえるヴォーカリスト『久保田利伸』と超絶テクニシャン軍団『カシオペア』のコラボ

 

流星のサドル
(1986年)
久保田利伸
withカシオペア

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №293 ズレてる

 

G7「五輪開催決意を支持」

 

菅「G7全首脳の支持を得た」

 

決意を支持しただけであって、日本が頑張ると言っているんだから、「頑張ってくださいね!」程度の外交辞令では?

 

 

“London Calling”
(1979年)
The Clash

 

決意はいいんだけど、ちゃんとプランBは用意してるの?

 

等と相変わらず愚痴ってますが、皆さまに私見を押し付けてるわけではございません。

 

あくまで、オヤジの小言です。ハイ

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №292 鋭いご意見かと

 

日経新聞に掲載された安田秀一氏のコラムです。

長文ですが、是非ご一読ください。

 

森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習

 

 

 

今夏に迫った東京五輪・パラリンピック。その組織委員会の会長辞任劇は国内だけでなく世界からも注目されました。

 

低迷する開催機運のさらなる逆風にもなっています。

 

この騒動にスポーツアパレルを扱うドームで社長を務める安田秀一氏は大会組織委の問題から、日本社会に残る無意味な風習にまで考察を広げています。

◇   ◇   ◇

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任しました。

 

森氏の女性蔑視発言についてはすでに散々批判されており、ここで取り上げるつもりはありません。

僕がむしろ考えこんでしまったのは、森氏を擁護する意見として、その「功績」がまことしやかに語られてしまうことです。

 

具体的にどんな功績があったというのでしょう。国際オリンピック委員会(IOC)と太いパイプを築いた?

 

国内企業から五輪史上最高額の協賛金を集めた?

 

それらは森氏でなければできなかったことでしょうか。

 

文句が言いたいのではなく、誰の何と比べての功績なのか。

 

僕には、同じポジションにいれば、彼を凌駕(りょうが)するような圧倒的な仕事ができた人材は国内外にいくらでもいると思ってしまいます。

 

日本代表チームの監督ですら、外国人がやる時代です。日本人にこだわる必要も限りなく少ないと思います。

 

 

過去の五輪のどの都市と比べて、そしてどの大会組織委員会会長と比べて、具体的にどのくらいの功績があったのか。

 

もっとも大きなステークホルダー(利害関係者)である都民にどんなメリットとデメリットをもたらしたのか。

 

そんな検証もせずに「あなたたちはわかってはいないと思いますが」「この人脈と調整力は」などいう政治通のポジショントークとして功績を語られても、違和感しか覚えません。

 

よく言われる「コロナに打ち勝った証しとしての五輪」にも同じような感覚を覚えます。

 

「コロナに打ち勝った証し」と聞けば美しく勇ましいとは思いますが、それはいったいどういう状態なのか。

 

世界で患者がここまで減ったらとか、ワクチンの接種がどこまで進んだらとか、具体的な判断基準は何も示されていません。

 

フワリとした雰囲気だけで物事を流そうとしてしまうのは、近年の日本社会の大きな課題だと感じています。

 

一連の騒動を見ながら、僕は37年前の五輪とそれを取り仕切った人物のことを考えていました。

 

五輪の歴史に関心があれば、1984年ロサンゼルス五輪の組織委員長を務めたピーター・ユベロス氏の名前は聞いたことがあるでしょう。

 

彼は五輪に商業主義を導入した存在として知られています。

 

でも、彼がどんな経歴を持ち、どんな経緯で五輪と関わるようになり、具体的に五輪、スポーツをどう変えたのかまで知っている人は少ないと思います。

 

結論から言うと、ユベロス氏は「税金を一銭も使うことなくロス五輪を黒字化させた」という実績を持っています。これが本来、語られるべき功績の具体的な定量性であると思っています。

 

すなわち、他の五輪の定量的な指標と比較して、功績を評価すべきでしょう。

 

米ロサンゼルス市が招致した際、当時の五輪は経費が膨れ上がって瀕死(ひんし)の状態でした。

 

84年大会招致に立候補したのはロサンゼルス市のみ。

 

しかもロサンゼルス市は財務保証はしない、赤字の補填も責任も負わないという条件でした。

 

もし84年大会が失敗していれば、五輪の歴史は終わっていたはずです。

 

では、当時の五輪組織委員会であった南カリフォルニア・オリンピック委員会(SCCOG)と、ユベロス氏の具体的な足跡をみてみましょう。

1984年ロス五輪は公的資金を使わなかった

 

ロス五輪はすべて民間資金で賄うとして、SCCOGは民間企業として大会組織委員会を設立、そのリーダーを「公募」しました。

 

条件は①40歳から55歳②南カリフォルニア在住③起業経験者④スポーツ好き⑤経済的に独立⑥国際情勢に精通――。約600人の候補者から選ばれたのが、当時42歳のユベロス氏でした。

ロス五輪の成功はスポーツビジネスを変えた(1984年、開会式で入場行進する日本選手団)=共同

 

 

ユベロス氏は旅行会社を起業して成功した実績はありましたが、IOCやスポーツ界に人脈はありません。

 

後に彼を取材した日本の記者にこう語っています。

 

「小さなオフィスを借り、段ボール1箱のファイルと20人のボランティア、100ドルで開いた銀行口座。それがすべての始まりだった」

 

IOCはすでに74年に五輪憲章からアマチュア規定を撤廃していましたが、アマチュアリズムの考え方は組織内に根強く残っていました。

 

彼は五輪にビジネスを導入することに反対するIOCと闘い、1業種1社に独占的な権利を与えるスポンサー協賛金制度を導入し、テレビ放映権も米ABCに独占契約で販売。こうした手法で五輪を「稼げる大会」に変えました。

 

ロス五輪は商業主義ばかりが強調されますが、同時に徹底的な経費削減にも取り組んだことはもっと重要です。競技会場は既存施設を活用して新設は必要なものだけに絞り、選手村は大学の学生寮を活用しました。そして公的資金を一銭も使わない五輪を実現し、2億1500万ドルの黒字を出したのです。息も絶え絶えだった五輪において、まさに「ゲームチェンジ」を行ったのです。

 

こうしてユベロス氏は五輪の救世主となりました。その手法はその後、IOCが積極的に取り入れ、五輪だけでなくスポーツ界全体に広がり、スポーツビジネス全体を急成長させました。これこそ功績と呼ぶべきものでしょう。彼は五輪やスポーツの未来を輝かせる新たなアイデアを考案し、具現化したのです。ユベロス氏は学生時代、水球選手として五輪の代表候補になりましたが、出場はしていません。スポーツ界とは無縁の業界にいたので、IOCはもちろん、国内のスポーツ団体にも行政にもなんらコネもなく、それこそ知恵を絞り、徒手空拳で保守的なIOCを説得していったのです。つまり、五輪が巨大な商業イベントである以上、評価されるべきは能力であり、政治力ではありません。

 

後の五輪は、商業主義は引き継ぎましたが、経費削減の努力は怠り、再び莫大な経費が開催都市を苦しめています。デジタルなど新たな技術の登場で、従来のビジネスモデルからの転換も迫られています。五輪が再びピンチに陥り、変革が避けられなくなったときに、東京が五輪を開催することになりました。ユベロス氏のように、次の未来を築く革新的な五輪のあり方を提示することに取り組むべきだったように思います。

 

ところが、ボタンの一つ目から掛け違えてしまいました。実際の執行機関である組織委のトップに据えたのは、昭和の臭いがプンプンする、旧来の利益誘導型の政治家でした。人脈やコネ、貸し借りなどを使った根回しによって物事を関係者だけで決定し、利益は限られた狭いサークルに分配していく。村社会感が全開の過去のやり方をなぞっただけに感じました。そもそも、どのようにこの人事が決定したのか、その経緯も密室そのものです。かくして、五輪は「復興五輪」などとは名ばかりの利害関係者だけの関心事となり、大会が終われば赤字を垂れ流すだけの無計画な施設が次々造られ、開催に関わる経費は莫大な金額に膨れ上がりました。

スポーツの現場で見た不思議な光景

 

森氏の功績を評価する意見は、僕には体罰教師への批判に対して「彼はそれでも教育熱心だから」と言って擁護しているのと同じように聞こえます。僕もスポーツの現場で何度となく森氏と遭遇したことがあります。いつでも十数人規模の人に取り巻かれて、登場するとその場にいた人々が一斉に引き下がり、ひたすら首(こうべ)を垂れて迎えるという「大名行列」のような光景です。

 

一番印象的だったのは、プロ化を果たしたバスケットボール男子Bリーグの開幕戦です。当時、僕の経営する会社が男子バスケ日本代表のスポンサーや、Bリーグチームのスポンサーをいくつかやっていたことから、客観的に見たら僕はかなりのVIPという存在でした。でも、僕にあてがわれた席は後方気味のコーナーで、試合の展開が見えづらいごく普通のシートでした。

特等席に座っていたのは政治家がほとんどだったという(2016年9月、Bリーグの開幕戦)

 

でも、会場の客席の特等席には赤絨毯(じゅうたん)が敷かれていて、その上には豪華な椅子が並べられていました。ここからは想像の通りですが、この赤絨毯に座っていたのは、それこそ年配の男性ばかり、政治家がほとんどでした。そして、その一番格式の高そうなシートに向かって、森氏が例のごとくに登場して、今度は周囲を囲んでいた赤絨毯の人々が一斉に立ち上がって、ひとつの方角に向けて深々とおじきをしてお出迎えをしていました。なにか悪いコメディーを見ているような気分にすら思いました。「この人たちの給料は僕らが払ってきた税金なんだけどな」と心の中で叫ぶのが精いっぱいでした。

 

僕の扱いに文句があるわけではありません。でも、同じような「記念試合」に米国でも何度か招待されているのですが、政治家よりもスポンサーの扱いが低いということはあり得ません。こんなことをあえて記述する必要があるのかと馬鹿らしく思えるくらいの常識です。政治家は税金を配分するのが仕事ですので、どこかで「俺が持ってきたお金」という勘違いをしてしまうのだと思います。そしてスポーツ団体側も補助金を配分してくれる政治家におもねるようになり、大小さまざまな利権が生まれてしまうのです。

 

日本オリンピック委員会(JOC)関連の会議に参加している若い関係者からよく愚痴を聞きました。

 

「安田さん、こんなに日本の財政がピンチなのに、いまだに『東京五輪に向けて予算を獲得しよう! えいえいおー!』ですよ。結局、スポーツ業界ではお金を稼ぐ人材じゃなくて、税金をたくさん使う人が偉いんです。これじゃ世界に勝てるはずがないです」

 

日本にとっての東京五輪・パラリンピックは本来、人口が減少して縮小化する時代に向けて、効率的で無駄のない最適化した社会やシステムを構築する契機にすべきものでした。それを世界に向けてアピールする絶好のチャンスでもあったと思っています。

 

スポーツ業界に身を置く僕が、なにか批判的なコメントをすることに、なぜかある種の恐怖を感じてしまいます。日本は憲法の下、法の下の平等が大原則の立憲国家です。そこには当然ながら男女差別も、年齢による上下関係もあってはなりません。大名行列は江戸時代の遺品であって、時代劇の中だけで十分です。

 

そんな意味でも、今回の騒動は今夏の開催の是非を論じるにとどまらず、最初のボタンの掛け違いから全体を検証し直す絶好の機会だとも思っています。それは、東京五輪の問題にとどまらず、日本における憲法と伝統文化や価値観とのギャップを検証し直す機会にもつながると感じています。

 

五輪やスポーツを超え、これからの日本が再び輝くには、どんなリーダーを選び、どんな社会を築いていくべきなのか。男だから、女だから、年下のくせに……なんていう無意味な風習や価値観が廃れていき、自由闊達な議論が盛り上がる風通しのよい社会へ。前回のコラムでも記したスポーツがけん引する「フラットな社会」の実現が、思ったより早く訪れそうで、なんとなくワクワクしてしまいます。

 

パリ五輪で、などと悠長なことをいわず、東京五輪がそんな「フラットな社会」、つまりダイバーシティー(多様性)など真の社会変革のきっかけになったとしたら、それこそが一番のレガシー(遺産)といえるのではないでしょうか。

安田秀一

1969年東京都生まれ。92年法政大文学部卒、三菱商事に入社。96年同社を退社し、ドーム創業。現在は同社代表取締役。アメリカンフットボールは法政二高時代から始め、キャプテンとして同校を全国ベスト8に導く。大学ではアメフト部主将として常勝の日大に勝利し、大学全日本選抜チームの主将に就く。2016年から18年春まで法政大アメフト部の監督(後に総監督)として同部の改革を指揮した。18年春までスポーツ庁の「日本版NCAA創設に向けた学産官連携協議会」の委員を務めたほか、筑波大の客員教授として同大の運動部改革にも携わる。

 

 

記事内容の是非を含め、皆さんどう感じられましたか?

 

大きな声や周囲の空気に惑わされることなく、考え意見を述べる事はとても重要なのではないでしょうか。

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №291 いただきましたぁ~

 

巷で話題のあのお方がプロデュースしたお店です。

 

【偉大なる発明】

華香織

 

義理チョコならぬチョコレート味(クランベリー入り)食パンを戴きました。バレンタインデーに因んだ期間限定商品。

 

至福の週末を過ごせそうです。

 

 

もしもピアノが弾けたなら
(1981年)
西田敏行

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №290 ちゃっぷい

 

布団から出るのが辛い朝です。

 

“Cause We’ve Ended As Lovers”
邦題:悲しみの恋人たち
(1975年)
JEFF BECK

 

作曲は『スティーヴィー・ワンダー』

 

ニュースや天気予報等で「真冬の寒さ」とか「真冬並みの寒さ」等と報じてるのはなんかおかしくないか?今が真冬なんじゃないの?

 

いずれにせよ、数日おきに寒暖が入れ替わっており、体調管理にはじゅうぶんお気をつけください。

 

オヤジK

 

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