頭の中で考えている事は、若かった頃とさほど変わっていません。
今や還暦の爺さん街道まっしぐらなんですが、実際はそんなもんだろうなと思うわけです。
仕事や家族、自分自身や愛しい人の健康や残りの人生のことなど、若かった頃とは違った問題が頭の中で結構な割合を占めているのは確かですが、そうした課題は浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返しています。
しかし、普段の頭の中はどうでもいいことばかりだったりするわけです。
アレが食べたい、どこそこへ行ってみたい、あれが欲しい、チョメチョメがしたい等、煩悩ばかりです。
オネエサマにモテたいとか好感を持たれたいという感情も、未だ消えてはいません。
外出時にパリっとしたスーツを着たり、なんちゃってイケオジを気取ったり、ピカピカに磨かれた靴を履くのも、モテたい願望が根っこにあるからでしょう。
若かった頃となんら変わっていません。
(もともと中身がスカスカなので、ファッションという鎧を纏ってごまかしてきたのですが、加齢とともに益々ファッションに頼らなくてはならなくなったようなwwwww)
まぁ、いづれにしてもエロ煩悩でパンパンです。
幸い、青少年うんちゃら条例に引っかかるようなお嬢ちゃん達には煩悩アンテナは全く反応しませんので、警察のお世話になるような事はなさそうです。
やはり人生の酸いも甘いも知り尽くした、成熟したお姉さま方がいいですねwwwww
しかし、そんなことでいいでしょうか?
若かったころ、50代・60代のオトナたちはもっと渋く生きているものだと思っていましたが、今になって思えばそれは幻想にすぎなかったのでは?と思うのです。
(それは、オマエだけだろ!というツッコミはご遠慮ください)
ただ、さすがに体力や〇力ともに徐々に厳しくなってきており、あわよくば〇〇を実践したりするのにもやたらバカ高い壁が立ちはだかっている気がしますね。
まぁ、実践する機会に恵まれなくとも、ときめいたりハンターを気取っているうちは、若々しさを維持できるのかもしれません。
しかし、恐ろしいというか怖いのは、ゲスなエロ煩悩がいつになったら消えてなくなってくれるんだろうということです。
今はまだギリギリ、ダンディーぶったオジサマという鎧を纏って現役バリバリですという行動をとっていられますが、この先10年後20年後も消えていなかったらそれはそれで厄介です。
「おじいちゃん」というカテゴリーはもう目の前です。
ですから、そこそこ適当な時期にゲスな煩悩が治まってくれないと、生きていること自体が辛くなりそうな予感がするわけですよ。
「若かったころ出来ていたことが思うように(俊敏に)出来なくなった」
「数年前まではなんとも思わなかったけれど」
「昨日までは何も問題なかったのに」
等々
身体的な衰えは日々確実に進行しているわけで。
世の中の不条理に憤慨する事もそれこそ星の数ほどありますが、それらも含めたあらゆる現実を受け入れつつ、自分に素直にそしてできる範囲で無理なく楽しんでいきたいとおもうわけです。
ということで、今日も一日張り切っていきまっしょ!!
血潮
(2013年)
吉井和哉
オヤジK
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