熟年の定義はよくわからないが、間違いなく僕らは熟年である。
熟女・美熟女・美魔女とは言うが、熟男等とは言わない。何故だろう?昭和なら田村正和、平成なら高見沢俊彦とそれなりに艶のあるいい男はいたし、僕らと同級の唐沢寿明やちょっと年下の江口洋介は美熟男に該当すると思うのだが・・・
熟した後は腐るだけかもしれない。美の一文字がつくかどうかはともかく、できる事なら一日でも長く、熟したままでいたいと願う今日この頃である。
巷では、「人生100年時代」というキャッチが定着したようだが、やや恣意的な思惑が見え隠れして、個人的には懐疑的である。
だが、今回そのことは置いておきたい。
このキャッチを前提に考えると、僕ら55歳(56歳)は、まだ人生の折り返し地点を過ぎたばかりである。
とはいえ、ここ数年あちこちガタがきて滅入ってしまう事が多くなった。視力・筋力・食欲・性欲(滝汗)等、明らかに低下している。
きっと腐る前のサインなのかもしれない。
いきなりだが、全国津々浦々チャリ???で走り回っている希代のプレイボーイ日野正平は御年70歳である。我らが永遠のヒーロー永ちゃんも、あの篠原涼子を射止めた市村正親も70歳だ。
きっと彼らもカメラが回っていないところでは、ヨレヨレの時間があるに違いない。仮にそうであっても、彼らのようにカッコよく年齢を重ねられたらと自分を鼓舞している。
もともと、涙もろく情けない男なのだが、最近特に涙腺がもろくなったようだ。映画・ドラマ・音楽等に影響され、ボロボロと涙することが多い。
映画【ボヘミアンラプソディー】では冒頭から涙があふれ、エンドロールが流れる頃には、もうグシャグシャ。映画を観たいのか、泣きたいから観に行くのか、わからなかったが(滝汗)、なんと8回も足を運んでしまった。
昨年地上波でオンエアされたドラマ【義母と娘のブルース】でも、エンディングテーマ【アイノカタチ】が流れ出すと、ティッシュペーパーを箱ごと膝に抱えていた。もし妻や子供がいたら恥ずかしくてとても見せられない情けない姿だが、やもめオヤジだから気にしない。
また【玉置浩二】のコンサートでは、ハンカチで目頭を押さえる女性達に交じって、「雨」「行かないで」「フレンド」を聴きながら、独りうつむいて鼻水をすすっていた。きっと隣に座っていたお姉さま方は気持ち悪かったに違いない。
私だけかもしれないが、これも熟年なんだからと自分自身を納得させている。
色んな経験を積み重ね、苦難を乗り越えてきた(乗り越えようとしている)からこそ、熟年真っただ中の今がある。
【スガシカオ】の「Progress」
あの頃思い描いた理想の自分にはなれなかったけれど、それでも前を向いて歩を進めようという歌詞を噛みしめ、また明日も頑張ってみようと思う。
何やらとりとめのない話になってしまった。
10月13日(日)期待と不安を胸に秘め、足を運んでくれる同窓生の笑顔を思い浮かべながら、パシリ担当Kの独り言を〆たい。
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