なんと言っても、ドラマ【寺内貫太郎一家】が真っ先に思い出されます。
寺内貫太郎一家のテーマ
(1974年)
井上堯之バンド
心よりご冥福をお祈りします
オヤジK
コメント (0)
佐賀市立城北中学校の1979年卒業生同窓会ホームページです。
アニメに限った事ではありませんが、幼いころから数多くのヒーロー物を観て育ってきました。
ストーリーはどれもが、危機や緊急事態にさっそうと登場し、人々が安心して暮らせる安全な世界を守るべく正義を盾に危険を顧みず奮闘し戦うわけです。
実在した人物をモデルにした映画やドラマも有りますが、多くはあくまでフィクションですから、そんなヒーローの登場を待ち望んでも仕方ないのですが、巷では口先だけのヒーローやヒロインを演じようとする輩や、日替わりで登場するヒール役ばかりを目の当たりにするわけで、マジでなんとかならんのか?と思わずにはいられません。
しかも、彼ら全てが口にする「安心」「安全」「緊急」「危機」「真摯に」「丁寧に」等というお決まりの言葉の持つ意味が、なんとも軽く安っぽくなってしまったことか・・・
もし、ノムさんが生きておられたら、どんなぼやきをつぶやいてくれたかなぁ~^^
オリジナルはあの『子門真人』さんですが、今日は『米米CLUB』のカヴァーを。
科学忍者隊
ガッチャマンのテーマ
(1972年)
作曲:小林亜星
オヤジK
コメント (0)
『3密回避』『ソーシャルディスタンス』等と声高に叫ばれるようになって久しいですが、通勤時におけるバス・電車や飛行機・新幹線等にほとんど言及されないのはどうしてなんですかね?
ライブハウスに始まり、夜の街関連やら飲食店やら宿泊施設等とピンポイントでターゲットにされ糾弾されていますが、それらの場所へ移動するときに何らかの交通手段を利用しているはずです。その移動時における感染の可能性に言及しないのはどうなの?と思ってしまいます。
それはさておき、人との『距離』について考えてみました。物理的な距離ではありません。
大きな意味で『親友』『友人』『知り合い』という区分けしてみると、このご時世でも会うのは親友。友人とはメールや電話、知り合いとは疎遠になってしまったような気がします。
皆さんは如何でしょうか?
以前の記事で、この騒動は人心を分断しかねないと書いたことがありましたが、より身近な人付き合いまで変えてしまいそうです。
これがお上がおっしゃる新たな生活様式(日常)の第一歩なのでしょうか?
「ウィズコロナ」「ウィルスとの共生」等と言われたり、最近では「ウィズコロナ五輪会議」なるものまで出てきました。私は強烈な違和感をぬぐえません。(この期に及んでまだ五輪開催に固執するのか?)
「蚊やゴキブリと一緒に生活することすら出来ないのに、ウィルスと共に生きていけるほど人間は強くないとおもいます」(とある専門家の言葉です)
”新しい日常”を提唱されるのも構いませんが、国民(個人)だけに我慢と変革を強いるだけでやってる感を演出するのはやめていただきたいと思う今日この頃です。
数年ほど前、とあるお方が”美しい国へ”とおっしゃっていましたが、それとは裏腹に醜い国に成り下がってしまったような・・・
では今日はこのくらいで
”この木なんの木”
(1973年)
作曲:小林亜星
作曲は故・小林亜星さん
オヤジK
コメント (0)