今季もまた雪不足のニュースを目にするが、やっと本格的な寒気の到来でそこそこの積雪もあるようだ。
それでもまだまだ各地のスキー場では日々、降雪祈願している関係者も多い事だろう。もちろん大雪は迷惑だから、とても快適な冬だと思われている方もいらっしゃるだろうが。
ところでスキー場と言えば、私のゲレンデデビューは33歳の時、札幌国際スキー場だ。
ゲレンデデビューが遅かったのは、それまでスキー・スノボーには全く興味がなかったからである。
皆が学生時代に連れだってスキー場通いしていた頃や、映画【私をスキーに連れてって】が大ヒットしスキーブームの再来と騒がれていた時期はスキーに興じる余裕などなかった。
それに、そもそもただ斜面を滑り降りるだけなのに???と思っていた。
デビュー初日、スケートすらまともに滑れなかった私は、スクールレッスンを受講することにしたのだが、他に受講生がいなかったのでプライベートレッスン状態だった。
当然の事ながら?、たった1日で滑れるようになるはずもない。
イントラのひとりが私のスキートップを手で押さえ、尚且つ後ろからもうひとりのイントラに、私が装着しているハーネスを引っ張ってもらいながらのプルークボーゲンで、初心者コースを滑り終えるのがやっとだった(滝汗)
ただ、この日を境にパウダースノーにメロメロになり、また凝り性な性格も手伝って、スキーにのめり込んだ。
これといった趣味や特技のないおもしろみのない男なのだが、これまでの人生で夢中になったもののひとつが、スキーだった。
何を血迷ったか、50歳で引退して北海道へ移住し、シーズン中はイントラ、オフはゴルフ場のコース管理でもしてのんびり暮らすんだと目標を立てたのである。小中学生ならともかく、いい歳した大人の人生設計としては甘々なものだった。
毎年12月以降は可能な限り広島・島根のスキー場へ出向き、またまとまった休暇をつくっては北海道へ遠征し、平均すると年間30日程滑った。しかもほぼ毎日プライベートレッスンを受講した。
レッスン料・遠征費・用具代等、大枚をつぎ込んだおかげで、ゲレンデデビューから4年余りで上級者の仲間入りすることができ(ちょっぴり自慢)、夢の実現へ向け着々と人生を歩んでいたのだが・・・
*画像は私ではありません(爆)
しかしながら、自分の思い描くように生きていけるほど人生は甘くなかった。。。
18年前の今日、大怪我を負い大きく軌道修正を迫られる事になったのである。
手術前の説明でスキーどころか日常生活も支障をきたす後遺症が残るかもしれないと宣告された時は頭の中が真っ白になり、それから一か月余りひとりふさぎ込んでいた。
ただ今では、足腰がしっかりしているうちにもう一度滑る事ができればいいなと思っている。
パシリK
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