徒然なるままに №120 距離

 

『3密回避』『ソーシャルディスタンス』等と声高に叫ばれるようになって久しいですが、通勤時におけるバス・電車や飛行機・新幹線等にほとんど言及されないのはどうしてなんですかね?

ライブハウスに始まり、夜の街関連やら飲食店やら宿泊施設等とピンポイントでターゲットにされ糾弾されていますが、それらの場所へ移動するときに何らかの交通手段を利用しているはずです。その移動時における感染の可能性に言及しないのはどうなの?と思ってしまいます。

 

それはさておき、人との『距離』について考えてみました。物理的な距離ではありません。

大きな意味で『親友』『友人』『知り合い』という区分けしてみると、このご時世でも会うのは親友。友人とはメールや電話、知り合いとは疎遠になってしまったような気がします。

皆さんは如何でしょうか?

以前の記事で、この騒動は人心を分断しかねないと書いたことがありましたが、より身近な人付き合いまで変えてしまいそうです。

これがお上がおっしゃる新たな生活様式(日常)の第一歩なのでしょうか?

 

「ウィズコロナ」「ウィルスとの共生」等と言われたり、最近では「ウィズコロナ五輪会議」なるものまで出てきました。私は強烈な違和感をぬぐえません。(この期に及んでまだ五輪開催に固執するのか?)

 

「蚊やゴキブリと一緒に生活することすら出来ないのに、ウィルスと共に生きていけるほど人間は強くないとおもいます」(とある専門家の言葉です)

 

”新しい日常”を提唱されるのも構いませんが、国民(個人)だけに我慢と変革を強いるだけでやってる感を演出するのはやめていただきたいと思う今日この頃です。

 

数年ほど前、とあるお方が”美しい国へ”とおっしゃっていましたが、それとは裏腹に醜い国に成り下がってしまったような・・・

 

では今日はこのくらいで

 

”この木なんの木”
(1973年)
作曲:小林亜星

 

作曲は故・小林亜星さん

 

オヤジK

 

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徒然なるままに №095 お久しぶりです

 

まず初めに、九州をはじめとする各地の豪雨災害で、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、現地で対応に当たられた(当たっておられる)自治体関係者、自衛隊、警察、消防、医療従事者及びボランティアの方々等多くの関係者の皆様に敬意と感謝の意を捧げます。

 

 

さて、平年よりかなり遅れ東北北部を除きほぼ全国的に梅雨明けとなり、ぎらつく太陽にさらされる日々がやってきました。

 

 

冬より夏が苦手なメタボオヤジKが、またつぶやきを再開したいと思います(気まぐれ・不定期です)

 

 

さて、この1ヶ月余りの間、様々な事が起こりました。

 

 

先にあげた豪雨被害をはじめ、再び感染拡大の一途を辿るCOVID-19、そして相も変わらぬ為政者による意味不明・矛盾だらけで理解不能なかじ取り、それから史上最年少タイトルホルダーとなった『藤井聡太』さん。

 

 

政治関連にスポットを当てると、国務大臣経験者による買収疑惑や検察庁問題、戦後最長の好景気等と喧伝し消費税増税を断行したにもかかわらず、今頃になって実は・・・とか。そしてコロナ対策の迷走というか無策・愚策のオンパレード等々。相変わらず力の弱い国民一人ひとりの生活は置き去りにされ、政治家と官僚の利権が優先されるという旧態依然とした姿は、もう噴飯ものとしか…

 

 

また、個人的にはどうでもいい芸能ゴシップ系では、相変わらず様々な不倫ネタが続きました(つい先日どうでもよくない政治家の不倫もありました)

 

 

著名人の訃報も相次ぎました。『エンニオ・モリコーネ』『三浦春馬』『弘田三枝子』『山本寛斎』、彼等の訃報は少々ショックでした。

 

 

皆さんは何をどう感じていたでしょうか?

 

 

立場・立ち位置によって様々な意見が飛び交うのは自然な事だと思うのですが・・・

 

 

先日こんなニュースがありました。

 

 

【アジア人差別からゲストを守った店員】

 

 

自分がこの女性店員だったら、どうしただろうか?この国に住む人々の中にこれだけの対応をとる事が出来る人がどれだけいるだろうとか?

 

 

私自身はといえば、少なからずCOVID-19の影響を受け、すっかり従前の生活から様変わりした日々を過ごしてきました。

 

 

そして、お休み期間中この『徒然なるままに』では、『雨』にちなんだ楽曲を毎日お届けしてきましたが、新装オープン?にちなんで、今日はあのCMでお馴染みのこの曲をお贈りします。

 

”Volare”
(1989年)
Gipsy Kings

 

 

ちなみに原曲はこちら

 

Nel blu dipinto di blu”
(1958年)
Domenico Modugno

 

*この曲は記念すべき第1回グラミー賞にて、最優秀レコード及び楽曲賞を受賞しています*

 

 

うつむいているだけでは何もかわりません。

 

 

50有余年積み重ねてきた自分自身の思考・行動パターンを大きく変える事は難儀極まりないのですが、少しずつ一歩ずつ変革していきたいと思います。

 

 

とはいえ、いつ何時も前向きに生きていける人はごく少数の方に限られるのではないでしょうか。人の心はもろいものです。たまには愚痴りたくなることもあれば、ふさぎ込む時だってあるでしょう。

 

 

そんなとき、話を聞いてくれる人がいることは大きな助けになります。

 

 

巷では同窓会や同窓生との関わりを《後ろ向き》だの《傷の舐め合い》等と否定的に捉える人たちも一定数存在しますが、同僚や家族には見せられぬ己の弱さも、竹馬の友には吐き出すことができる時もあります。愚痴って慰めあって励まし合う事も、時には生きていくうえで大きな助け舟になることもあるはずです。

 

 

このご時世、酒を酌み交わしながら本音を吐露する機会はなかなか実現しませんが、一日も早く皆で集まり、大声で笑って話せる日々が戻って来ることを切に願っております。

 

それでは今日はこのくらいで

 

オヤジK

 

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ちょっとブレイク 号外 独り言

 

この記事は、センシティブな内容を多く含んでおり、私の個人的な考えが強く反映されています。

 

異論もあると思いますし、気分を害される方も多いかもしれません。

 

以上ご理解いただいたうえで読み進めてください

 

 

 

【ブツブツと独りごと】

 

あいもかわらず言葉遊びと打ち上げ花火がお好きなようで

 

そもそも何の為・誰の為の緊急事態宣言???

 

根回しして予定調和とって観測気球あげて、見通しやら決断やらと報道させて、発表日を予告?して、「さぁみなさん緊急事態です」ときました。

 

感染経路不明の陽性反応者が大幅に増えているにも関わらず、クラスター、クラスターってほんと意味不明かと。

 

クラスターでの感染者増はある意味怖くない。怖いのはそうでないケース!

 

緊急経済対策って、守旧派財界人の描くストーリーと既得権益を守る本質が見え隠れするなぁ

 

騒動終息後の経済対策が目立ち、防疫の視点・議論が明らかにおろそかにされているよなぁ〜

 

経済対策108兆円と声高に宣言されてますが、額面だけを前面に出して報道するの止めて欲しいなぁ〜

 

ただでさえ中身スカスカなのに、IMFへの拠出金も含まれるとか・・・

 

世界の政策と比べてみても、明らかに日本だけ労働者に金は渡したくないという強い意志が感じ取れて、改めてこの国の異常性を覚えるのはわたしだけかなぁ〜

 

正確なデータの裏付けなしに新たな縛りを設けて、こんどは何を根拠にこの縛りを解くのでしょう?

 

なんとなくまずいから緊急事態?なんとなく治まったから解除?

 

それとも、このままずるずると?

 

そして「憲法改正議論が盛り上がる事を期待する」という、この発言の意味するところは?

 

自粛要請のなか、「まだこんなに多くの人が」みたいな報道をみかけるけれど、生活の為仕方なく電車バスを利用し仕事へ向かう人までひとくくりにするのはやめて欲しいよなぁ!

 

 

いやはやなんとも

 

 

愚痴・疑問ばかりを羅列したけど、こんなことを考えているわたしは、リーダーを筆頭に一部の人たちからみれば、「あんな人達」であり 鼻くそみたいな輩なんでしょう。

 

愚痴ってばかりでは何も変わらないけれど、声を上げる事を非難されるいわれはないと思います。

 

9年前もそうでしたが、トーンポリシング等に萎縮する必要はないんじゃないかな?

 

ともかく、この国に住み生活を営む者として、今の現状を強く憂いています。

 

また、来年のことを言えばなんとかと言いますが、この騒動が治まった後の事もしっかり考えておく必要があるんだろうと思います。

 

きっといろんなことが様変わりしていくのでしょう。

 

 

幸いにも僕らは実感することなく生きてきましたが、人類の歴史とは「飢餓・疫病・戦争」との戦いでした(ユヴァル・ノア・ハラリ)

 

20世紀初頭の大恐慌では、危機を乗り越えていく過程で社会保障制度が生まれました。

 

先の大戦では甚大な被害と悲劇に見舞われましたが、後には人権・男女の平等化がすすみました。

 

どちらもまだ中途半端と言うか、逆行している事も多いのですが、大きな犠牲の後はほんの少しだけいい事もあるのではないかと。。。

 

ただその為には、正確なデータと記録に基づく検証と反省が不可欠です

 

でも、この国では隠蔽・改竄・超法規を是とし、「政治は結果責任」と言いつつ「責任を取ればいいというものではない(取らない)」と宣う人がリーダーだからなぁ〜〜〜。

 

これって「募ったけれど募集してない」と同じロジック?

 

あぁ~だから声高に次々と打ち上げ花火をあげて、やってる感を演出してるのか⤵️(脱力)

 

それでも、何かと優遇してもらってる一定数の人たちからみたら優秀なリーダーなんだろうなぁ。

 

 

 

結局「お前は何が言いたいんだ?」

と突っ込まれそうですが

 

最大の悲観のもと

今できる事を

少しずつ、ひとつずつ

今日も一歩まえへ

 

 

てなわけで、今朝はこちらをモグモグ

 

未だにマスクが買えないパシリK

 

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