まだ記憶に新しい2018年平昌五輪の出来事です。
五輪に限った事ではありませんが、出自や性差、肌の色等を問わず、自らの限界に挑戦し、競い合い、尊敬し、称えあうアスリートの姿に僕等は感動を覚えるんだと思います。
今巷では、あのお偉いおじいちゃんの発言が大きな問題になっています。
発言全文が公開されていましたので確認してみました。
この方の過去の問題発言と比較して、さほどインパクト?のある内容ではないのですが、いかんせん今のお立場とタイミングが悪すぎです。
おじいちゃんが仲間内と焼鳥屋で愚痴るのとはわけが違います。
クローズアップされている発言箇所を含め、今回のケースは当然問題視されるべきものなのですが、発言そのものより周りにいる要人の対応にこそ、この国の病巣があるように思うわけです。
身内からは「余人をもって代え難い」等とおっしゃっている方もいらっしゃいます(昨年、検察官定年延長問題でも同様のコメントが聞かれました)
また、近しい人たちからは気さくで面倒見のいいひと等と擁護するご意見も出ているようです。
が、その事実をもって差別発言が許さる事にはなりませんし、裏返せば身内・お友達優遇ととられかねない言動に走る可能性を秘めるわけですので、為政者やそれに準ずる人の資質としてそのことを前面に押し出されるのはどうかと思うわけです。
この国の伝統というか悪しき習慣と言うべきか、権力者への忖度、利権のしがらみ・中抜き天国の元凶でしょう。
“Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.”(ジョン・アクトン)
また、山下氏や橋本氏の発言内容や発せられたタイミングには、現役時代の功績を知るものとして残念でなりません。
他方、山口氏の発言については大いに評価されるべきでしょう。
今回の騒動は、日本国内だけの問題に留まりませんし、今後の動きに注目したいと思います。
話は少し変わります。
最近よく耳にする『古い価値観』という言葉があります。
ほとんどの場合、否定的評価のニュアンスで用いられています。
『古い価値観』というのはかなり以前からある価値観のことを意味していると思うのですが、古いからと言って間違っているとは限らないですし、『新しい価値観』が正しいとも限らないとも思うわけです。
「温故知新」
自分の生き方・考え方に固執するのはよろしくないですし、一般的に加齢に伴い、脳の前頭前野の機能が弱くなり、場にふさわしくない話をする、同じ話を繰り返す、思いついたことを考えることなく言葉にするなど、自制心が効かなくなると言われております。
老いていることが害であり若ければ良とするご意見も散見されますが、それはそれで一括りに論じる事には危うさがあるとおもうわけです。
僕等も、大いに気をつけなければいけません。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
子供たちを責めないで
(1983年)
伊武雅刀
私を含めた今の大人たちへの皮肉に聞こえてしかたありません。
こちらが原曲
“DON’T BLAME THE CHILDREN”(1967年)Sammy Davis Jr.
(当然歌詞の内容は全く違います)
おまけ
オヤジK
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