徒然なるままに №513 危ういやつら

 

個々人の価値観や考え方はまちまちですし、一部に挑発的で先鋭的且つ偏狭的な考えをお持ちの方がいらっしゃるのも理解しています。

 

それはそれと切り分けて物事を眺めてはいますが、権力サイドの方々はくれぐれも慎重であっていただきたいと思うわけです。

 

 

今世界を揺るがしているロシアによる軍事侵略について、

 

「ウクライナが核兵器を放棄していなければ、今回の事態は起きなかった。」

「よって、日本も核を保有もしくは共有(ニュークリア シェアリング)すべきであり、今こそ議論を進めるべきではないか」

 

 

等と、あの元首相やコメンテーターの仮面を被った声の大きな政治屋、そして彼らの取り巻きの方々が次々に発言しています。

 

 

ひとつの選択肢としてそういった考えもわからなくもないのですが、仮に核兵器があれば軍事進攻が起こらないというのであれば、持っているかもしれないと理由で攻められたイラクはどうなの?と思ったりするわけです。

 

また、北朝鮮が核やミサイルを持っているから攻められないというのは、単に後ろに中国が控えているからと考えるのが妥当でしょう。

 

 

核兵器による抑止力を全面的に否定するものではありませんが、日本が歩んできた歴史を鑑みるに、熟慮を欠いた短絡的で扇動的な発言は厳に慎んでいただきたいものです。

 

 

また、【非核三原則】は古い昭和の考えであり、現状にあっていない等ともおっしゃっているようですが、実質的な核保有国とも言えるここ日本において、殊更中露や北朝鮮を刺激し、緊張や不安定な状況に拍車をかけるような発言はいかがなものかと思うのです。

 

 

 

ただ、全くもって議論すら容認しないというスタンスではありません。

 

 

しかしながら、この国の権力者たちが持ち出すセンシティブな議論とは、でっち上げの逸話をあたかも多数であるかのごとく得意満面に披露したり、論点をずらし話をすり替え、同じことを繰り返し発言することが丁寧な説明であり、一定の時間を費やせば議論は尽くされたと数の力で押し切ろうとする、なんとも議論とは程遠いものであることは、昨今の国会論戦をみれば明白です。

 

 

こんな事を書くと、オマエの頭はお花畑か?とか左か?とか赤か?等と非難されそうですが、争いごとは当事者双方の主張が食い違うところから始まるわけで、自説だけが正義だ!という一方的な論考には異を唱えたいと思う訳です。

 

 

政治とは緊張を煽ったりせず、対立する利害を調整する為にあり、絶対安全圏にいながらにして、政治家個人の悲願達成の為に、熟慮を欠いた自説を吹聴して回るものではないはずです。

 

 

また、平時に慎重な議論の場を設けるならまだしも、パンデミックや世界情勢により非日常的な空気が溢れ、人々の心が何かと不安定なこの時期に、憲法や核に関する議論はすべきではないと考えます。

 

 

ファシズムとは民衆の恐怖と不安を煽って、コントロールしようとするのです。

 

 

 

【戦争屋】の看板を隠している【政治屋】どもが、この国の中枢に巣くってそれなりに力をもっている今の日本って、かなりヤバくね?

 

また、そういった危うい連中の発言を無批判で大量に垂れ流す、国営放送やお台場テレビグループ、大手町新聞等のマスメディアも、ある意味同じ穴のムジナやなぁ。

 

 

 

 

“The War Song”
(1984年)
Culture Club

 

 

曲の後半で“No more War,No more War”と繰り返していますが、こっそり日本語で♪センソー ハンタイとも歌ってますよ^^

 

オヤジK

 

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